ウルトラ独りぼっち

特撮。笑い。素晴らしき哉、暇潰し人生。

To LOVEる 第10話「宇宙の女芸人」

突然のアニメ感想ですが、興奮状態にあるのです。
ついさっき関西圏で放送された『To LOVEる』。

いつもの『To LOVEる』らしい寒さもあるけど、何だかいつもとギャグのレベルが違うと思っていたら……浦沢義雄脚本!!?
ここに来てまさかこんなビッグネームが登場とは!!!!!!
サブタイトルからして全く期待していなかっただけに、これは嬉しすぎる誤算でした。
内容も、並みの書き手が使えば確実に話が寒くなるようなオバハン宇宙人を登場させているにもかかわらず、暴走しすぎず基礎を突き詰めて、フリあり、「どないしてくれんねん……」という綺麗なオチもありでソツなく纏めてくる技量、そして何より、リトがララの婚約者であると知ったオバハン宇宙人が固まった際に、比喩ではなく実際に固まってしまうというあの展開。
ララ曰く、「大丈夫。ビックリすると、固まる性質の宇宙人だから、心配しないで。そのうち戻るから」
アニメ(漫画)的な慣用表現を比喩ではなく現実に起こった事象としてギャグにしてしまう手法は類型として存在しますが、これまで本作でも幾度となく出現した宇宙人たちの持つ“身体的特異性”に注目し、その設定を既存の公式に当て嵌めることで、かなり高度な形で上記のようなタイプのギャグを実現する。
これは本当に巧いと感じ、成る程!と手を打ちました。そしてEDで脚本のクレジットを見たときに妙に納得してしまいました。
ヘンテコな宇宙人がいっぱい!という、散々イジられているようで開拓されていなかった作品の基本的な設定に着目し、見事なまでに練り込んであのようなギャグを創出するとは。恐るべし浦沢義雄。

それだけでなく、キャラクターの役割分担もかなりの精度で理解していないと書けない脚本だったと思います。
特に感心したのは春菜の扱いに関して。
今回、彼女はオバハン宇宙人に目をつけられたことで、頻繁にリトたちの想像の中で登場していましたが、彼女が今回の挿話の中で発した現実の台詞というのは殆どありませんでした。
現実のシーンでは、オバハン宇宙人の魔手から彼女を庇おうとしたリトが不可避的にとはいえ彼女の身体に触れてしまったことにすら殆ど言葉を発せず、「いやーっ!」と云ってリトを叩くのみで、恥じらいを見せてそのまま走り去ってばかりでした。
これは、リトやオバハン宇宙人らの想像の中で饒舌に喋っていたのとは対照的なことです。
しかし考えてみれば、こういう突発的な“トラブル”に対応しきれず、言葉少なに顔を赤らめて去ってしまうという「清楚さ」を持っているのは本作では春菜くらいのものですから、こういう理不尽な性的接触、“トラブル”に見舞われてしまうヒロインというシチュエーションには意外と最も適しているように思えるのです。
現実では殆ど言葉を発せず、想像の中でだけ、それを想像する人間の想像通りの言葉を発してくれる。
まさしく“理想のアイドル”としての西蓮寺春菜像が、初めて映像化された瞬間ではないかと思うのです。

褒めすぎてるような気がしないこともないですが、なにせ浦沢降臨に興奮しきりで。
ララたちがなろうとする芸人の想像図に関しても、最初こそかなりイラッとしましたし、そもそもこういう安直な、芸人を馬鹿にしたような話は鼻につくことが多いのですが、流行芸人ではなく敢えて人生幸朗・生恵幸子師匠などの大御所芸人をララやリトの漫才モデルとしてチョイスしてきたところに何だか嬉しくなってしまいました。
単なる懐古趣味ではなく、その目の付け所というか、他の脚本家と同じものを題材にしてもオリジナリティを事も無げに織り込んでくるその辣腕には頭が下がります。
まぁ、流行の芸人さんをモデルとして出しても良かったとは思いますが、そういう芸能の時事ネタともいえるようなギャグは他のアニメでも時折用いられているものであって、天下の浦沢義雄が今更やるようなことではないのでしょう。
何だか期待が少なかった分、充足感が絶大です。ありがとう! 天才・浦沢義雄!


やっぱり褒めすぎたな。

継続は疲れるナリ

再びジオンの理想を掲げるために! 後輩に「ずっと更新停止してますよね」と云われたために!

ソロモンよ、私は帰ってきた!


一応これはやっとかないと。義務ですので。

結局ブログを続ける秘訣というものは、「つれづれなるままに」パソコンに向かって、「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく」書いていくということなのだろうと感じました。
つまり、呼吸するのと同じようにして、常日頃自然と行っている思考が固まった沈殿物を、ぼんやりとかきまぜて整理し、まとまってから書く、という作業こそ、ブログを継続させるスキルなのではないかと思うのです。
考えながら書くのは勿論そうなのですが、気合の入ったブロガーの方だと、ネタ収集に困って過労死してしまうという事例も、海外ですけど最近はチラホラ聞かれているようですし。
まあ、アメリカで著名ブロガーの過労死が相次いだのは、アメリカのブログ運営の主流が基本的に利益目的であるということも関係深いようなので、日本と事情は違うのでしょうけど。

しかし、日本のブログでも、真に気楽なブログ運営を行えているという人はごく僅かなのではないでしょうか。
ひとたびカウンターが動けば、誰かが自分のブログを見ているのだとわかる。
見られている以上、更新を疎かには出来ない。
でも、拙い記事を書いてしまったら、批難されるか、失望されるかも知れない。
だからといって更新しないと、いつもトラックバックやコメントをくれる人たちに心配をかけてしまう。
でも。
そうやって自縄自縛に陥れば、気楽に更新を続けることなど夢のまた夢でしょう。
ホームページと違ってHTMLなんかを理解せずとも手軽に更新でき、簡単に他人とクラスターを形成することが可能な技術であるからこそ、そこに自分のスタイルというものを見出すのは難しく、またしんどいのです。
とどのつまりは“無理をしないこと”。それは自分を欺かないということに尽きます。
そうすることが何より自分に優しく、他人に窮屈さを与えない、理想的なスタイルなのではないかと思うのです。
でも、やっぱり僕には一日一回更新する、という習慣はつきそうにありません。
そもそも僕は独り言をこよなく愛する男なので、ブログに書かなくても独り言で大抵のことは解消できてしまうのです。
書かずとも充足感を得られてしまったら、面白い読み物を書いてやろうなんていう貪欲さは損なわれますから、気乗りもしないのに何か書いても、やっぱり消化不良になってしまいます。

そうならないよう、僕には独り言で全てを言語化してしまわないように、セーブをかけるスキルも必要なのだと思いました。
他にもブログに関しては、本とブログの表現物としての違いについてなども思うところがあるのですが、それについてエントリを書くかどうかは気分次第ということにします。
気分次第。結局のところ、それが現時点での出版物とブログとの根本的な差異、ということでもあるのでしょう。たとえブログを編纂して出版したものであっても。

ということで帰ってきました。ずっと帰ってきてなかったことを知らなかった人はこんにちは。
皆様よろしくお願いします。

電王との1年。

あけましておめでとうございます改め寒中お見舞い申し上げます。

本来であれば『電王』最終回感想を書かなければならないところ。
しかし、もう随分と長いこと電王感想を書いていないので、今更最終回だけを取り上げたところで何ということもないかと思い、最終回感想の代わりに『電王』と出逢ってから一年間の総括を個人的にやっておきます。 ...【続きを読む】

2007年を振り返って

2007年の総括を。
ありがちなところで、今年を一文字で表すなら何か。

ズバリ、2007年は「ま゛」です。
少しの不安と少しの期待が入り混じった気持ちでいるうちに、ま゛っという間に過ぎ去った2007年。
回顧すれば、色々なことを経験した年でした。
学校を辞め、夏からアルバイトを始め、真゛っ赤な嘘を吐いたこともありました。

今年も竜ヶ森湖上空で赤い発光体と衝突するようなことはなかったけれど。
今年もヒビキさん、鬼に変わって人助けをする、その不思議な男の人と出逢ってから、僕、安達明日夢の中で、何かが変わってくることはなかったけれど。
今年も――獣拳に、相対する二つの流派はなかったけれど。

ま゛ぶしかった青春時代を追い求めて、戻ることのない昨日を夢想したこともなかったとは言えない。
でも、ま゛だま゛だ続くような心地でいても、すぐに時は経ってしま゛うもの。
こんな寂寥感を忘れることなく、今後も精進していきたいです。

だから、来年の抱負は「ゎ」です。
小さな驚きを大切にしたい、ということです。真゛っ赤な誓いです。よいお年を。

グレンラガン的転回

長らくご無沙汰ですみません。

ご存知のように、僕はこうしてブログをやっている。
誰かのブログを閲覧するという人間関係にとって、ブログの更新停滞はブログ管理者の死と変わらない。
だとすれば、これは“回生”だと断言できる。

僕は『天元突破グレンラガン』を深夜の再放送で観始めたクチだ。
第8話「あばよ、ダチ公」から第11話「シモン、手をどけて」までの流れにいたく感興。
アニキに感化されたのを皮切りに、次第にこれまで抱いていた日常への不安や焦燥、全ての事物が、上昇的に転じられてきた。
立ち塞がるものを吹き飛ばすような力が内面から澎湃とみなぎってくるのを感じている。
多分それは「気のせい」なんだけども、この「気のせい」がこれから現実や真実といった言葉で飾られた幾つもの妄想を打ち砕くことになるのかと考えるだけで武者震いがする。

「気のせい」は、実感したらもう「気のせい」ではないのかも知れないと考えるけれど、やっぱり「気のせい」だ。
ただ、世の中の偉大な行いは全て「気のせい」で成されているのだ。それも「気のせい」なんだろうな。


緊張を楽しむ感覚。
長らく体感しておらず、それがどんなものであったかを忘却しかけていたが、再び相見えることになろうとは。
しかもそれが、自分でも無意識のうちにここまで高められていようとは!
これは「発想の転換」とでも言うべき目からウロコ体験。

アニメオタクになろうと発奮してから3ヶ月。
自分のやっていることを出来るだけ自己分析するようにして、生まれて初めてスケジュールを管理して。
そうしてこの3ヶ月間積み上げられてきたものは、“やる気”という無形なものとして発現した。
やっぱり、やる気は行動の付随現象でしかないらしい。
成せば成るというのは、行動していればいつでも活力なんてものはついてくる、ということでもあるのだろう。

とにかく、新たに元気が溢れてまいりました。
もう日付も変わりかけですが、今日中に個人的な今年の総括と来年の抱負でもアップします。
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